◆あきる野原水協は、7日から11日まであきる野市役所ロビーで(財)第五福竜丸平和協会の協力を得て「第五福竜丸展」を開催しました。パネル36枚と死の灰(レプリカ)やガイガーカウンター、そして当時の航海日誌(写し)などを展示、5日間で180名が鑑賞しました。(写真左上)
◆13日には同じくあきる野市役所ロビーにおいて「第五福竜丸のお話とピアノ演奏の集い」を開催しました。地元ピアニストの山下千尋さんがショパンのノクターンやジョンレノンのイマジンなどを演奏、(財)第五福竜丸平和協会事務局長の安田和也さんが「第五福竜丸・保存の呼びかけ40年―原水爆のない世界へ航海はつづく」と題してお話し、第五福竜丸を守った人々の平和への願いを次の世代につないでいくよう訴えられました。集いには39名が参加しました。(写真左中)
◆第五福竜丸の帰還により水爆ブラボーの実験(写真下)とそれによる被爆が明らかになりました。この水爆実験では856隻の漁船が被災したことや直後のソ連の核実験の放射能雨など、現実的な被害が膨大であったこともあって原水爆禁止の運動がたかまり、3000万人の署名が集まりました。ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸の無線長・久保山愛吉さんは米軍に察知されないよう被爆についての打電はせずに、船はまっすぐ焼津を目指しました。当直日誌には「厳重な警戒をもって岐路につく」と記載されてました。久保山さんは「原水爆の被害は私を最後にしてほしい」という言葉を残して半年後になくなりました。
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